ガッキーはむちゃくちゃ可愛い。これは目の前の林檎が赤いことや、イチローが凄い選手だということと同レベルの厳然たる事実である。いまさら可愛いなんて言うと、んなこた分かっていると心の中で呟いてしまう。
人間には誰しもピークと言うものが存在するものだ。ふと思い出すとあの頃のあの子がピークだったな、とあとになって気付くことがある。
しかし、ガッキーの場合、一体それがいつなのか分からない。ポッキーのCMの頃に決まってるじゃん、と言う人も多いかもしれない。あのガッキーも死ぬほど可愛かったが(私はそれよりも早くからその群を抜く可愛さに気付いてはいたが)成長した今では、大人の女性としての可愛いらしさをも兼ね備えてしまった。最新ドラマ『逃げるは恥だが時には役立つ』のダンスも可愛いかわいいと絶賛されている。
だからガッキーの場合は常に、いつでも、今が旬であり、ピークなのかもしれない。かつてこれほどまでに可愛さと人気の高さを長期間維持し続けている女性芸能人などいた例がない。そろそろ人間国宝に認定してもいいのではないかと真剣に思っているくらいだ。それくらいにこの可愛さは全国民に浸透している。
ではこの人類史上最も可愛い、ガッキーを口説くにはどうすればいいか。これを考えてみたい。以下は目の前にガッキーがいると思って繰り広げた会話の一部を抜粋したものである。
皆が可愛いかわいいと騒ぐほどに俺は君のことを気の毒に思うよ、そう言われるほどにその期待に応えるプレッシャーも大きくなるからね。君は真面目な性格だから自分自身のためだけではなく、周りの人のためにもその可愛さをキープし続けようとするだろう。けれども困ったことに可愛いと言うイメージが強いほどに歳をとった時のギャップは大きくなり、ちょっとしたことで勝手に残念な気持ちにさせてしまう。少しでも老いを感じさせるものを見せたが最後、やれ劣化したなどとネットで騒がれてしまうのだ。
正直に言って君は女優として評価されているわけではない、どちらかと言うとアイドル寄りだと言う事実を受け入れなくてはならない。今回のドラマにしても最も注目されたのは(内容も良かったが)、結局のところまたダンスじゃないか?(君が昔「沖縄アクターズスクール」のオーディションを三度受け、全て落ちていることを思うとなんだか不思議な縁だね。おっとこれは言っちゃいけないことだったかな?)、君は見た目こそ大人っぽくなったけれども根本的な部分は何も変わっちゃいないのだ、良い意味でも悪い意味でも。
このまま歳を重ねると、その可愛さという武器を失いたくなくて必死でしがみつこうとしてしまうかもしれない。その恩恵が大きければおおきいほどにそうなってしまうのだ。人は誰しも歳をとる。いくら可愛いくても残念ながらそれは永遠ではない、どうしても手に負えない時が来てしまう(だから人生ってある意味、平等に出来ているとも言えるね)。だからそうなってもいいと思える人、見た目とか関係なく、君の存在そのものを好きでいてくれるような人と一緒にならなければならない。そしてそいつは今、目の前にいる。
最後の台詞を言い放つと同時に、真のガッキー好きならば、あのなんとも言えない、恥じらいの表情というか、ハニカミの笑顔が目の前に浮かんできたはずである(そしてお胸がキュンとしたはずである)。ちなみにこれは佐々木希なんかにも応用可能だ。
けれども、現実問題として、私たちはごく一般人であるからして、ガッキーとはまずもってお知合いにすらなれない。万が一なれたとて、そこから距離を縮めることは非常に困難である。また、上の会話は本心から好きでなければ言えないし、そうでなければ効果はない。つまり、本気でガッキーに恋をしていなければならないのだ。
しかし、人間は自分と同じくらいの魅力の持ち主に惹かれ、恋に落ちる生き物である。ごく一般人は憧れの芸能人に実際に会っても恋に落ちたりすることはまずない、むしろ、眩しすぎてまともに見られないし、可愛すぎて腰が引けてしまうのだ。なので、これはガッキー似の素人女性にでも使ってください。
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