我慢するのが仕事だと言う認識は古い(叱られるのも仕事のうちとかなんとかいうのもだ)、それはもはや過去の価値観。今回はこのような内容のお話をしようと思います。
苦労や我慢を強いられてきた人ほどよりそれを他人にも強要してくるものです。自分だけが辛い、しんどい思いをするのは許されない、自分がこうなのだから周りもこうあるべきだと間違った考え方に至る。
楽しそうに仕事しやがって、仕事はしんどくてナンボのもんなのに……、自分が新人の頃は、毎日上司に理不尽な目に合わされて来たのだからこいつも同じように厳しく扱って当然だ……。
これは何か悪さをした奴が周りの人間も悪の道に誘おうとする心理に似ています。自分ひとりだけは嫌なのです。不安なのです。だから自分と同じような仲間を求めてしまうのです。そうして安心したいのです。
子供のころに虐待を受けた人は将来、自分の子供にも同じように虐待してしまう可能性が高くなる、なんて話を聞いたことがありますがこれも無意識のうちに似たような心理が働くのでしょう(本来はそうしたくないのだが強くそのことを考え、意識するがあまりに引き寄せられてしまう面もあるのかもしれないが)。
これは決して他人事ではなく、人間は何もしないでいると本来そういう方向に進んでしまう生き物なのです。自分で意識して自分を律しないとそういう思考に流されてしまう。前向きにならないと成長や進歩とは真逆の方向にしか進まないのです。これでいいのだと頭が固まってしまっているのです。これは現状維持というか前時代的労働であり、もはや後退でしかありません。日本的労働、揚げ足とりの奴隷労働、痛みに耐えてよくがんばった、である。
今の時代そんなものは必要ありません。痛みに耐えて頑張るような古臭い世の中ではいけないのです。私たちはそうした我慢をせず、日々よりよい暮らしを目指して前に進んでいかなくてはならないのです。
昔はそれでよかった、我慢に耐えていることが美徳とされた。しかし今は違う、今はもう新しい時代、ネットを通して好きなように生きていける時代なのです。そもそも年功序列、終身雇用制度が崩壊しようとしているのですから同じ会社にしがみつき、我慢し続ける意味がなくなりつつあるのです。
意味のあるのは、専門的なスキルの付く仕事や、新卒でしか入れないような、環境の良い(人間的にも)一流企業だけです。誰にでも出来る、つまらぬ単純作業や肉体労働、そんなものは辞めていいのです(それが向いているとか好きなら問題ないが)。古いものは捨てて行く、これも断捨離っちゅうやつです。
と言っても、何でもかでも我慢しなくていいと言う話ではありません。我慢には良い我慢と悪い我慢の二種類が存在するのですから。
質の良い我慢(する意味のある我慢)
良い我慢は、スポーツ選手や料理人などがやる我慢です。すなわち好きなことのために耐える我慢です。これは夢を達成するために避けて通れない類いのものなのだから意味がある。
また、この種の我慢は耐えられやすい。たとえば最近めっきり見かけない、川越達也氏いわく、料理人の修業時代はむちゃくちゃ厳しいらしいがそれでも夢である料理人になるためにやるのだから我慢できなくはない。野球やサッカーなどのスポーツ選手もそれぞれのスポーツが好きなのだから日々の練習にも耐えられる。
他の仕事にしても単純に興味があったり、そこに好きな人や尊敬できる人がいるからと言う理由があれば耐えられるし、スキルが付くなど何らかの付加価値が発生すればそこには耐えるだけの価値があるためそれを励みに頑張れるでしょう。
質の悪い我慢(無意味な我慢)
お金のためだけに我慢して仕方なくやり続けている仕事、こういうのを良くない、前時代的で無意味な我慢と呼ぶ。お金の対価に自分の大切な時間と体を売っているのが特徴だ。何ら生産性のない単純労働や、風俗嬢などがこのカテゴリーに入る(風俗嬢はちょっと特殊なので違う面もあるが)。
その仕事をして何らかのスキルが付いたり、付加価値があるならまだしも何もなく、むしろ余計なストレスが溜まってしまうのなら無意味どころか害悪のある我慢であり、この種の我慢をしなくて済むようにと何千、何百年にわたって耐え続け、私たちにバトンを渡してくれた、祖先に対して申し訳なく、現代において最もやってはならない類いの罪深いそれである。
お金という漠然としたものが目的になっているのもよくない。上の良い我慢の場合、仕事そのものは好きであり、自分で納得した上での我慢であって何らかの成長が見込めるので意味があるがこちらは仕事そのものが嫌いであり、渋々やっている上に何も身に付かないのだから救いようがない。お金を得るためだけに嫌いなことに耐えなくてはならないのは、苦痛でしかないだろう。発展途上国の人ならまだしも私たちは、発展し切った先進国、日本に生きているのだから。
しかも頑張ったとて、さほど感謝されないし、報われないのである。続けるほどに自身がどんどん小さく、惨めに感じてしまうはずだ。生きる上で大切な自信も付かない、むしろ失っていくのだ。プラスになるどころかマイナスにしかならない。この手の我慢に耐えながら生きることはある意味、質の悪い苦労であり、する必要のない、後ろ向きな苦労とも呼べる。
これは自分にも嘘をついている点でいただけない。好きでもない仕事を好きでもあるかのように振舞っている、すなわち自分を欺いているからである。そうしているから本当に好きな人が現れても素直にまっすぐ進めなくなるのだ。
こんなことを続けていて幸せになれるはずがない。この手の仕事はすぐにでも辞めるべきというか、辞めなくてはならない。嫌々やっていても周りに迷惑をかけるだけだし、無理をしてそこで頑張り続ければ続けるほどに次の人にも迷惑をかけることになるのですから(次の人もそれと同水準のことを要求されるから。ある意味、自分がそこで我慢すれば他の人が不幸にならずに済むとも言えるがそれでは単なるお人好しに過ぎない。自分の人生、もっと自分を大事にしてあげてください。それにそういう仕事が好きな人だっているのです)。
なぜあなたは今そんなにも苦しいことになってしまっているのか。それは頑張らなくてもいいことを頑張り続けてしまった、その結果が今のその状況なのである。
無理をすることで人は不幸に陥る。嫌だなぁと思いながら我慢して続けていると人生そのものまで嫌なものになってしまう。恐ろしいことに、いつまでもそういう職場で働き続けていると、あなたが嫌だなぁと思っている人、たとえば上司と同じような人間になってしまうのだ。いつしかその上司の気持ちが分かってしまう。すなわち、その上司にされたのと同じようなことを後輩にしようとしてしまっている自分に気付く。ここまで来るともう末期である。
質の悪い我慢から脱出するには
けれども年齢が年齢で他に仕事がなく、私のように仕方がなくやっている人もいるでしょう。そういう人はご愁傷さまです。
と言いたいところですがそういう人こそ、ネットで稼ぐべきである。今までは、お金を得るにはリアルで働くしかなかっため、多くの人は仕方なく、悪い方の我慢をしていた。しかし、今はネットでもお金を得られるようになったため、わざわざ無意味な我慢をする必要がなくなったのである。
時代は変わる。父親もいつまでも大きな顔をしてはいられない。息子や娘の方が稼ぐ時代が間近に迫っている。これからは親にお小遣いをもらわなくても、ポイントサイトなどを使って自分で自分のお小遣いを稼げる時代だ。中学生になったら自分で稼ぐから大丈夫、といって親を安心させてあげよう(これは危険な発想です。何も自ら進んでリアルの可能性を減らす必要はない。まずは良い大学を出て、良い会社に入ることを目指した方がいいでしょう)。
企業も考えを変えて行く必要がある
企業もうかうかしていられない。前時代的な古くさい環境でこきつかってばかりだとすぐに辞められるぞ。人を大切せず、蔑ろにしていたらそもそも人が集まらないし、実際にそうなってきている。今は個人の力が強くなって来ているのだ。会社に頼らずとも生きていける環境になっているのだからそこで働くことで何かしらの付加価値がなければ、我慢して続ける人もいなくなるのも当然である。
もういままでのようなブラックでは生き残れないし、皆もそんな糞みたいな職場にしがみつく必要はない。そんなところはすぐ辞めよう、それでも我慢するのが労働なんだと古くさい価値観にしがみつけばそうした企業の思うツボ、それではいつまでたっても日本は変わらない。変えていかないと、いまを。そのためにもネットで稼ぐ力をつけるんだ。
個人は相互補完で頑張る
このサイトではリアルとネットの両方で稼げるようになってもらいたく思っています。さすれば片方でしくじってももう片方で補えますし、一方がもう一方に良い影響を及ぼし収入がますます増え、余裕を持って生きていくことができるのですから。
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