結婚した桐谷美玲がいうところの「嬉しくてたまらない」とはどのような状態でどのような時に得られる感情なのか

桐谷美玲ちゃんが三浦翔平と結婚して結構たちますが、皆の祝福メッセージに対して放った、「嬉しくてたまらない」状態とは一体どのようなものでどんな時に感じるのか、これについて考えたので発表したいと思います。

大人になってからも、子供の頃、ファミコンを買ってもらった時に感じた喜びと同等かそれに勝る程の喜びを得られるかどうかで人生は決まる

子供の頃、ファミコンを買ってもらったときに感じたあの喜びに勝るものなどこの世にあるのだろうか(今で言うと、任天堂スイッチなんかになるのかな)。

この喜びは、スーパーマリオなどのソフトを買ってもらったときにも続いた。ドラクエⅢも「嬉しくてたまらなかった」ものである。兄へのプレゼントだったのにも関わらずである。

はい、答えが出ましたね(というか私もつい言ってしまった)。これである、これが桐谷美玲ちゃんが感じた喜びの正体である。

しかし、大人になっていくにつれ、この手の喜びは薄れてしまうものだ。映画館から出た時、急に現実に戻ってなんとも不思議な気分におそわれる感覚も薄れていくように。

実際、大学生になって、お小遣いでニンテンドー64を買った時、あの時感じたような喜びは既になかった。あれ、おかしいなぁと思ったものである。自分でバイトをして貯めた金ではないからかなぁ、なんてことを思った。

しかし、20代後半でようやく自分で働いて貯めた金で(長い間ひきこもっていたため)自分で欲しいもの(ステレオミニコンポやPS2)を買った時もあの喜び、感動は戻ってこなかった。あの喜びを感じたかったのに……。

これに近い喜びは、高校や大学に受かった時にも感じたものである。スポーツ選手なんかは、大会で優勝したりなんかするとこの手の喜びを感じるのかもしれない。仕事においてもあるのかもしれない。大きな会社に入って、大きなプロジェクトを成功させたりなんかすれば。しかし、しがない中小企業であくせくしている、多くの一般人にはその機会はなかなか訪れないものだ。

あの喜びは、それほど貴重で得難いものだったのである。それが子供の頃はただで手に入ったのだ。なんて恵まれていたのだろう(子供の頃はビックリマンチョコでヘッドが当たった時など、他にもいろいろあった気もするしな)。大人にこそこういうのが必要なのである。「大人って長いよ」ってCMで安藤サクラも言っているように大人でいる時間の方が圧倒的に長いのだから(その分、時間の経過は速く感じるが)。

私がこの手の喜びを最後に感じたのは、結局あの子だった。あの子からちょっとしたプレゼントをもらった時だった。ファミコンを買ってもらってから、かれこれ25年以上、経過して同じレベルの喜びを得たわけだ(人生で嬉しかったことBEST3にみごとランクイン)。

今、思えば、あの貴重な喜びをもっと噛みしめていればなと思う。そして、セックスをしていれば、ファミコンを買ってもらった喜びを上回るそれを体感できたはずである。おそらく、セックスをしながら涙を流したことだろう。これぞ嬉し泣きである。きゃりーぱみゅぱみゅの『もんだいガール』という曲の歌詞に「キライなことで笑うよりステキなことで泣きたいわ」というのがあるがそれである。

しかし、あぁ、結局、セックスなのか。大人になったら結局、そこに行きつくのか。そう思うとまた違った悲しみが押し寄せてくる。漫画も小説もドラマもだいたい恋愛がメインで私はそれがたまらなかったし、リアルでも恋愛トークが苦手で仕方がなかった。結局、人生で楽しいのはこれしかないのかと。

桐谷美玲も大好きな人と結婚でき、周りからも祝福されて相当、嬉しかったのだろうがこれも結局、男と女の世界である。大人になるとそうなってしまうのかもしれない。

しかし、いつまでもそれを得られない人は、孤独と絶望しかないではないか。だから私はあの喜びをもう一度味わいたい。大好きな人とのセックス以外で。子供の頃、ファミコンを買ってもらった時に感じた無上の喜びをである。それはどうすれば、手に入るのか、探しているところである。大好きな人とのセックス以外で。

コメント。

にしても、結婚したのがガッキーでなくてよかった。これがガッキーだったらショックでどうにかなってしまったかもしれん。まぁ、相手は三浦翔平なので全然マシだし許せると言えば許せるが、翔平は翔平でも大谷翔平クラスではないと嫁には行かせないつもりである。