本当は付き合いたいのに自分に自信がなく、好きな人と両想いになる、せっかくのチャンスを逃してしまう人がいる(そう、私のことでもある)。自信のない人こそ、付き合うべきなのに。
なぜなら自信がないからこそ、付きあうことで自信が付くからである。相思相愛になれば、ひとつの成功体験(親以外に自分を受け入れてくれる存在を得たという)として、より自信が付くし(好きな度合が強ければつよいほどに)、たとえそうでなくとも一度でも付きあっておけば、その事実が自信を与えるからである。
恋人がいると言う事実は、周りにも魅力的に映り、さらなるモテに繋がるという好循環を生む。相手も魅力的だとより一層そうなる。冴えない男でも良い女を連れているとそれだけで一目置かれるのだ(アゲマンは本当に存在する。たった一人の女性の存在がその男の運命を大きく変えるのである)。
更にお付き合いを続けることで、二人でいろんな経験を積むことが出来る(素敵なデートスポットを見つけたり、いろんなお店に詳しくなったり、他にも付き合わないと分からない様々なことがあろう)。そうしたちょっとしたことの積み重ねがさらなる自信を生むのだ。
このように付きあったら良いことしかない(好きでもないのに付きあうのは苦痛でしかないが)。30や40にもなって付き合った経験がないとか、そもそも彼女や彼氏に興味がなく、作る気すらないなんて人が増えているようだが、同じくその経験のない私が言うのもなんですが、恋人を作らないのは、人生の九割以上を損していると言っても過言ではないでしょう。
私もあの子が同じ環境にいるということだけで、体の奥底から自信が沸々と湧くのを感じたものである(地に足が付く感じで)。今まで何をやっても満たされなかったが彼女が側にいるだけで体中が幸せで満ち溢れたのである(人間関係はたった一人の恋人がいるだけで解決する、とはこのことか)。
これは普段の行動にも現れていた。あの子がいた頃は職場の人とも自然に話せたし、コンビニなどでの振舞いも非常に紳士的で大人の男であったせいか店員さんの対応もすこぶる良かった。明らかに好意的なのである。若いおなごが好意的な笑顔をしてくるのである。これは決して自意識過剰でも大袈裟に言っているのではなく、本当にそうだったのだ(それが今じゃ……)。
あの子のおかげで自分の中の何かが満たされ、他の人のことを許せたり、好きになれる余裕が生まれたのである。このように何らかの大きな成功は、内なる自信と余裕を生み、それが好循環につながるのだ。特に恋愛とお金、この2つに関する成功は人生でもその恩恵が大きい(実際にはまだ成功したわけでないのにこれだからな)。人はこの2つのうちどちらか一方でも満たされれば、幸せになれるということである。
私の場合、いつも物足りないと感じていた何かが彼女であり、欠けたピースが彼女だったのである。俺は恋愛には縁がない、ずっと一人で生きていく、なんて風なことを思っていたがそんなことはなく(そもそも自分の場合、一人じゃ気が弱すぎてリアルでは特に駄目なのだ、いろんな面で)、二人で一人として協力して生きていく、そんな道もあったし、彼女とタッグを組めば、倍以上にパワーアップした自分になれたのだ(探し求めていた、本来の自分とも言える)。
だからあの時あの子の気持ちに応えることが出来なかったことを今も強く後悔している。あの子がいなくなってからあの子に出会う前に増して自信を喪失し、ブログやサイトを更新する気力も失い、対人恐怖症の症状がより強く出るようになってしまったからである。ピンチはチャンスと言うがチャンスこそピンチなのである。その大きなチャンスを逃すと残りの人生ずっとピンチに陥ってしまうからだ。
今では、恋の魔法も消え失せてしまった(未だに好きだが)。あの頃は、周りの子は色褪せ、あの子だけが光り輝いていたのに。私は見た目の良い子に敏感で、電車などでもその魅力の前に顔を見ることすらできなかったが、あの子がいた頃は、そういう子たちにも気後れすることなく、余裕で見ることが出来たのである(こちらではなく相手を赤面させてしまうほどさ)。
どんなに素敵な子もあの子には敵わなかったからだ。あのガッキーでさえ、あの子の前では霞んでしまった(あの子がいなくなった今では、ガッキーがむちゃくちゃ可愛く感じるが)。眩しくて見つめられないのはあの子だけだった。面食いで女好きな私があの子だけしか興味がなくなっていたのである。他の人なら欠点であろうことがあの子にはまるでそう感じなかった、むしろそれをしてより愛おしく感じたものだ。あれは本当に不思議な体験だった。
正直に言って私には自信がなかったのだ。私としてはいつしか理想のタイプの子が目の前に現れ、なぜかその子と上手く行く、そんな漫画かドラマのようなことを漠然と夢見、たとえ他で負け続けていようともその一度のチャンスをものにさえすれば、人生大勝利だと思って来た私が、現実において本当にその時が訪れた時にまさかの尻込みをしてしまうとは思いもよらなかったよ。
何も起こらないままに歳を取ってしまったので、そのようなことはこの世に起こるわけがないといつしか諦め、そういうことを信じられなくなっていたというのもあろう。あの子がガッキー以上に可愛すぎて、ピュアすぎて、眩しすぎて、気後れしてしまったってのもあろう。自分の顔を鏡で見てはため息しか漏れなかった。だが一番大きいのは、あの子の前で胸を張れるような人生を歩んで来なかったことにあるのかもしれない。過去には出会い系に手を出したり、エッチな内容の記事を書くなどしてしまった後ろ暗さもあった(今も書いているけど)。
けれどもそんなことは関係なかった。そんなことを気にするからただの良い人で終わってしまうのである。恋人は正直いって良い人では出来ない、恋人が途切れないのは一般的に男から見て嫌な奴が多いのがその証拠である。そんなことや周りの目も気にせず、奪い去ってしまうくらいの男じゃないとそうそう出来ないのである。
このやり場のない思い、寂しさをどうにしかするため、そしてせめてここを訪れた人には、私のようになって欲しくはないのでこのような記事を書いた次第です。また、こうしたことをネットで伝えて行くことが悲しい哉、私の使命になってしまったとも言えるでしょう。
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